土門 拳の名言
写真に限らず色んな場面で、ギリギリまで待つことはとても大切なことでしょう。
そしてその瞬間は、思考で考えてもなかなか最適を掴むことはできません。
また、簡単に諦めてしまうことも待つことができない影響は大きいですね。
進む方向、進む道は必ず現象が教えてくれて、進むべき方向、道にいざなってくれます。
その現象や結果をギリギリのところまで待ち切れずに、思考でもっともらしい理由をつけて判断してしまうことが多くなっています。
最後までしがみつく姿がみっともないと考えるのか、そこから先の追求が自然界では真に愉しめる状況なのに、それ以前で止めてしまうもったいない状況は、そこここに溢れています。
どんな結果になっても、とことんまで突き進んで行くことです。
どうにもならなくなれば、自然に進むべき道が拓けてきます。
そこまでは、ひたすら進んで行くことです。
ギリギリまで待つチャレンジが、大きく視界が開ける境地に必ずいざなってくれますよ!
土門 拳さんのこんな名言もありました。
写真家はスリである。
土門 拳の名言
習ったうまさほどイヤなものはない。
土門 拳の名言
日本人としてのぼくは、どこの国よりも日本が大好きである。
そして、日本的な現実に即して、日本的な写真を撮りたいと思っている。
土門 拳の名言
気力は眼に出る。
生活は顔色に出る。
年齢は肩に出る。
教養は声に出る。
土門 拳の名言
風景に向かって手も足も出ない、
そのまま撮ってくるというようなやり方では、新しい今の風景写真は作れない。
作者自身の日本の風土というものに対し、民族というものに対し、伝統というものに対してはっきりした定見をもっていかなければ撮れない。
土門 拳の名言
写真は秘法によって生み出された虹である。
それは化身のように手でつかむこともできないが夢のような美しさがある。
しかも確固とした実在性をもっている。わたしはそういう写真を撮りたい。
土門 拳の名言
カメラのレンズキャップをはずしなさい。
土門 拳の名言
撮っても意味がなくなるまで撮る。
土門 拳の名言
(浜本 哲治)
土門拳が撮影した木造普賢菩薩騎象像(国宝、大倉集古館所蔵)(美術出版社『日本の彫刻 Ⅴ「平安時代」』 1952年3月5日発行 Wikipediaより
土門拳が撮影した十一代目 市川團十郎「海老さま」(1951年)Wikipediaより